世代交代の必然性について

現代の学園を舞台にした作品は、世代交代の続編を書くのが難しい
上のエントリを読んで感じたこと。
そもそも、世代交代の効果ってなんであろうか。
思いつくままにあげてみた。

  1. テーマの普遍性の強調
  2. 世代を超えた悲願の強調
  3. 世界観の流用
  4. 本編主人公の因果の説明

テーマの普遍性

早い話が、「数十年前にもおなじような事件があったのですよ」という印象を与えるために使われるのではないだろうか。
例えば、『マリみて』の「いばらの森」等があげられる。
普遍性の強調を目的とする故、別に直接の血縁関係は必要ない。

世代を超えた悲願

ジョジョ』の1部と3部のつながりが主な例。しかし、3部を強調するだけなら1部にあたる部分の非業をちょっと書けばいいだけな気もする。実際『黄昏色の詠使い』も1巻に関しては、「世代を超えたドラマ」ではあるが、第一世代の話はごくわずかしか描写されていない。

世界観の流用

「世代が変わるという」現象の下には「同じ世界である」という前提も含まれる。というわけで、世界観を流用出来るわけなのだが、ぶっちゃけそれって意味無い気もする。例えば、『ブギーポップ』『しにばら。』のようにただ、視点主人公を変えるだけで、この目的は達成されるのだから。
早い話、この効果は、主人公世代交代の効果の中でも副次的な者にすぎないと解すべきである。

本編主人公の因果の説明

「世代を超えた悲願」と少々似ている。ただ、こちらは後発世代の舞台設定に対する説明の効果を持つと解する。
例えば『レギオス』に対する『レジェンドオブレギオス』があげられると思う。
この効果は、舞台設定にこだわる読者に対して効果的ではないだろうか。

以上

というわけで、「世代交代の効果」というものは、他の手段を使っても代用可能な効果というものが存在したように思える。
これらの効果をふたつ以上使う必要に迫られたとき、「世代交代」という手法を用いるのではないだろうか。
逆に、これらの効果のうちひとつしか使わない場合には、世代交代を避けるのかも知れない。なぜならば、意図しなかった他の効果が足かせになるおそれがあるからではないか。