何故俺がこのブログを始めたのか。


オタキングの話題とは少しずれますが。

オタキングのおかげで、何でエロゲー論壇が流行り廃れたのかわかったよ! - 脳髄にアイスピック

 で、一時期、ラノベ論壇的なものが出来た際に、大森望氏が、ラノベの起源は平井和正と言い、批判的な意見が多く見受けられましたが、これは、上の世代に対する反発。即ち俺達が発見したライトノベルに、お前らの歴史を持ち込むんじゃねえというようにも見えるのですが、どうでしょうか。

 何にせよ、僕が言いたかったのは、ジャンルが歴史を積み重ね、その中でアーカイブが増えてくると、それについて、語れる人間が減っていくというのは当たり前だということです。


結局の所、これに尽きるのです。
俺が哲学に関して語ったら、周囲からフルボッコにされたでしょう。
私の知り合いでもある山田山田男氏もピアキャストで時折哲学について語りますが、それはもう目も当てられない反応が返ってきます。
曰く「原典に原語であたれ」
「近代哲学について語るなら、古代ギリシア思想は完全に押さえておけ」
いうなれば「数学について語るのであれば「ユークリッドの公理系」から全てを導く力量を備えよ」ということです。
学問として考えればそれは当然な事かも知れません。でも何故か納得できない。


一方ライトノベルはどうでしょうか。
起源をどこに定めるかについては諸説あるようなのですが*1、流石に「聖書を全部読んでから語れ」といわれることは滅多にありません*2
作品数はまだまだ少ない*3。これは本当に「語る」ハードルを低くしてくれるようです。


しかしながら、たとえハードルが下がったとしても、本人の表現力がなければどうしようもありません。
いつも読み返すのが恥ずかしいほどの駄文になってしまう。これが最近更新が滞っている理由です。

*1:夏目漱石説,聖書説

*2:パクリ論争は別。作品Aと作品Bのネタが被ったとき、実はどちらも神話から借りてきたということは多々ある。最近だと『ゼロの使い魔』に「ギアス」という用語が出て、「『コードギアス』のパクリだ」という論争が起こったが、実はどちらもケルト神話の「ゲッシュ」からとったことが判明

*3:作品数の少なさの例。角川ホールディングスライトノベル春の百冊。100冊なのに22タイトル