ラノベと視点の問題に関しての雑感

ラノベだと、主観がよくわからんのは、よくあること。 日日日(狂乱家族のやつな) とかも、そんな感じ。

小説版 とらドラ!に対する友人の愚痴
上記のエントリを読んで、実際に視点がコロコロ変わっているライトノベルってどれくらいあるのか調べてみようと思った。浅学非才の身である俺が、視点コロコロでない作品をとりあえずあげてみた。

完全な一人称タイプ

早い話が、主人公の視点で延々と語っていくタイプである。コレに該当したのは以下の作品。

ぱっと思いついたのは以上の4作である。

意図的に視点を変えているタイプ

以上の作品は、「視点が入り乱れているが、作者はその点について何らかの対策を講じている作品」である。さて、それぞれ検討していこう。
まず、『キノの旅』である。この作品は、そもそも短編連作形式なので、各短編ごとに視点がぶれていても何の問題も無いと考えられる*2
次に"「生徒会の一存」シリーズ"について。コレは、副題に「碧陽学園生徒会議事録」とあるように、議事録を製本したものという体裁だ。執筆者が変わればそりゃ視点も変わるだろう。
トリックスターズC』。こちらは序章で、「主人公が聞いたことを再構成した」という形になっている。主人公は一介の大学生なので編集能力に期待しちゃダメだ。
「神栖麗奈」「ブギーポップ」。こちらは、「複数の視点から見てはじめて事件の全容がわかる」という構成ゆえに、純粋な一人称小説じゃムリだ。
『バッカーノ』『終わりのクロニクル』『境界線上のホライゾン』。こちらは群像劇となっている。視点切り替えの時に中黒が入っているので、作者は認識しているはずだ。

雑感

  • 「一人称+視点コロコロ」に関して、個別具体的に擁護できるが、包括的には擁護することはできない。(一般性の問題)
  • というか、完全な三人称でも描ける作品あるだろ。(厳格な合理性の問題)
  • 落第忍者乱太郎』では、複数の登場人物の独白が見られたうえ(一人称的)に、乱太郎が知り得ないシーンも存在(三人称的)したな。漫画だと許されるのか?

*1:誤字は酷いけど

*2:特筆すべきは、短編ごとに三人称になったり一人称になったりしているが、此処では省略する